朝日日本歴史人物事典 「畠山義成」の解説
畠山義成
生年:天保13.9(1842)
明治初期の文政家,教育家。通称丈之助。変名は杉浦弘蔵。薩摩(鹿児島)藩門閥の出身で,慶応1(1865)年留学生として英国に赴きロンドン大学で学ぶ。2年後に渡米,宗教家トマス・レーク・ハリスの教団に入るが,その教義に疑問を覚えて脱退,ラトガース大学に入学した。在学中の明治3(1870)年に洗礼を受け,以後キリスト教精神に基づいた国民啓蒙を志す。帰国途次,岩倉遣外使節団の随員となり欧米を視察,記録掛を務めた。同6年12月東京開成学校校長に任ぜられ,同8年には東京書籍館長を兼務,教育行政の近代化に尽力。翌年フィラデルフィア万国博覧会出席のため渡米,病にかかり帰途につくが船中で客死した。<参考文献>犬塚孝明『明治維新対外関係史研究』
(犬塚孝明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報