百塚新村(読み)ひやくづかしんむら

日本歴史地名大系 「百塚新村」の解説

百塚新村
ひやくづかしんむら

[現在地名]富山市百塚

神通川下流左岸、呉羽山くれはやま丘陵の北端部に位置し、富山城下西岩瀬にしいわせ町を結ぶ往来およびうしくび用水が西側にある。南東は百塚村。村名は百塚村の農民が開いたことに由来する(婦負郡志)婦負郡に属し、富山藩領。所属組は打出うちいで村と同じ。承応四年(一六五五)の村御印では、百塚新町に小物成銀一〇八匁三分四厘が課せられ、百塚村の百姓中に対し納入が命じられている(村々御印物等書上)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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