日本大百科全書(ニッポニカ) 「百姓愁状」の意味・わかりやすい解説
百姓愁状(ひゃくせいしゅうじょう)
ひゃくせいしゅうじょう
「ひゃくしょう~」とも。一般には百姓が政治の不正などを愁訴した文書のことであるが、とくに平安時代のそれをさす場合が多い。法的には、儒教的な理念に基づいて律令(りつりょう)法に規定されていた民衆が直接中央に意見を述べることを認める制度(公式令陳意見条(くしきりょうちんいけんじょう))に裏づけられた合法的な行為であったようである。その具体例は「尾張国郡司百姓等解(おわりのくにぐんじひゃくせいらげ)」(永延2年〈988〉11月8日付)であるが、このような事例は『小右記(しょうゆうき)』など当時の公卿(くぎょう)の日記などにも散見する。これは大内裏(だいだいり)公門(陽明門)に、要求項目を箇条書きの解文(げぶみ)(下から上に提出する書式)にしたためて掲示することがその手続であったらしく、これを武力などで威圧することなどは禁ぜられていたらしい。貴族政治のもとで、地方政治が受領(ずりょう)にゆだねられていたため、その不正摘発の方法として公認されたのであろう。しかし、11世紀後半以後には急速に記録などから姿を消していく。
[佐藤宗諄]