百草村
もぐさむら
落川村の南にある村。同村に飛地がある。百草八幡宮所蔵の銅造阿弥陀如来坐像銘に、建長二年(一二五〇)孟夏(四月)七日として「武州 多西吉富 真慈悲寺」とあり、中世真慈悲寺は百草の地に所在したとみられることから、当地は多西郡吉富郷に含まれていたと考えられる。田園簿に茂草村とみえ、田方一九五石・畑方一〇五石、旗本小林領。正徳四年(一七一四)小林氏は村民との紛争によって転封となり、以後幕府領となった(寛政重修諸家譜)。「風土記稿」によると村内はすべて山や丘で水田と畑が相半ばしている。
百草村
もぐさむら
[現在地名]多摩市百草、日野市百草など
一ノ宮村の西にある。寺方村の南、和田村の東に飛地があった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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