日本歴史地名大系 「皆川町一丁目」の解説 皆川町一丁目みながわちよういつちようめ 東京都:千代田区旧神田区地区皆川町一丁目[現在地名]千代田区内神田(うちかんだ)一丁目三河(みかわ)町二丁目の東隣にある町屋で、神田橋(かんだばし)御門外の勘定奉行役宅から鍛冶(かじ)町にかけて東西に走る道筋に沿った片側町。東は永富(ながとみ)町一丁目、南は新革屋(しんかわや)町代地・松下(まつした)町二丁目南側代地・同三丁目南側代地、北は皆川町二丁目・同三丁目。寛永江戸図によると皆川町の町域には丹波亀山藩松平(大給)家上屋敷があった。同家は寛永一一年(一六三四)の豊後府内藩転封後も引続き上屋敷として拝領していたが、貞享四年(一六八七)一月二八日に屋敷は収公されて下総佐倉藩堀田家上屋敷となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by