皆川町一丁目(読み)みながわちよういつちようめ

日本歴史地名大系 「皆川町一丁目」の解説

皆川町一丁目
みながわちよういつちようめ

[現在地名]千代田区内神田うちかんだ一丁目

三河みかわ町二丁目の東隣にある町屋で、神田橋かんだばし御門外の勘定奉行役宅から鍛冶かじ町にかけて東西に走る道筋に沿った片側町。東は永富ながとみ町一丁目、南は新革屋しんかわや町代地・松下まつした町二丁目南側代地・同三丁目南側代地、北は皆川町二丁目・同三丁目。寛永江戸図によると皆川町の町域には丹波亀山藩松平(大給)家上屋敷があった。同家は寛永一一年(一六三四)の豊後府内藩転封後も引続き上屋敷として拝領していたが、貞享四年(一六八七)一月二八日に屋敷は収公されて下総佐倉藩堀田家上屋敷となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む