皮張村
かわはりむら
[現在地名]かつらぎ町宮本
平沼田村の南の山腹に立地。「続風土記」は村名について「村中皮張石あり、名義是より起る、一説に当村狩場明神あれは狩場村といふへきを、神名を避けて皮張といふとそ」と記す。応永二六年(一四一九)九月日付の段銭棟別納日記(又続宝簡集)によると「小河内棟別」六二間分のうち一一間分五五〇文が当村に課せられ、中世、高野山領六箇七郷内小河内郷のうちであった。天文九年(一五四〇)三月二一日の僧永観灯明田寄進状(続宝簡集)には「カワハリ門新二郎」の名がみえる。天正二〇年(一五九二)八月四日の豊臣秀吉朱印状(同集)に「川張平野田」の一七二石が高野山領とされているが、南賀郡内とあるのは誤りと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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