益富城(読み)ますとみじょう

日本の城がわかる事典 「益富城」の解説

ますとみじょう【益富城】

福岡県嘉麻(かま)市中益にあった城で、永享年間(1429~41年)、今川了俊(いまがわりょうしゅん)の九州征伐の際に大内盛見(おおうちもりみ)が築城したといわれている。交通の要衝日田街道長崎街道を結ぶ町だった)にあるため争奪戦の標的となり、永禄年間(1558~65年)には毛利元就(もうりもとなり)が領有(城番は杉七郎忠重)し、戦国時代末期には、古処山城(こしょさんじょう)を本拠とする秋月氏の支城となった。安土桃山時代豊臣秀吉による九州征伐で秋月氏が敗れ、早川長政が城番となったが、関ヶ原の戦いで西軍についたため、没収された。その後は黒田氏の城となって、福岡藩の筑前六端城の一つとなり、1615年(元和1)の一国一城令により破壊された。JR福北ゆたか線桂川駅から西鉄バス大隈行き27分で終点下車、徒歩20分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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