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今川了俊 いまがわ りょうしゅん

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美術人名辞典の解説

今川了俊

南北朝・室町前期の武将・歌人。嘉暦元年(1326)生。範国の子。名は貞世、将軍足利義詮の死を機に出家して了俊と号した。九州探題に任命され、室町幕府の九州統治に成功した。幼少より歌を志し、冷泉為秀に師事、また周阿・二条良基らに連歌を学んだ。文筆にも優れ、『難太平記』『下草』『二言抄』等多数の著がある。応永19~25年(1412~1418)頃歿、享年未詳。

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デジタル大辞泉の解説

いまがわ‐りょうしゅん〔いまがはレウシユン〕【今川了俊】

[1326~1420]南北朝時代の武将・歌学者。名は貞世。伊予守。遠江(とおとうみ)守護。足利義詮(あしかがよしあきら)に仕え、幕府の引付頭人(ひきつけとうにん)を経て応安4年(1371)九州探題となり、九州の南朝方を制圧。その後、足利氏満との共謀の疑いを受け引退。和歌・連歌にすぐれた。著「難太平記」「今川大双紙」など。

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百科事典マイペディアの解説

今川了俊【いまがわりょうしゅん】

今川貞世

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

今川了俊 いまがわ-りょうしゅん

1326-? 南北朝-室町時代の武将。
嘉暦(かりゃく)元年生まれ。今川範国の子。室町幕府の引付頭人(ひきつけとうにん)をつとめ,将軍足利義詮(よしあきら)の死とともに出家。応安3=建徳元年九州探題に任じられ同地の支配に成功。応永2年職をとかれ,駿河(するが)(静岡県)半国守護となった。和歌を冷泉(れいぜい)為秀にまなび,歌人としても知られた。応永19-25年ごろ死去。名は貞世(さだよ)。著作に「難太平記」「今川状」「二言抄」など。
【格言など】衆人の愛敬無くしては,諸道の成就難し(家訓)

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

大辞林 第三版の解説

いまがわりょうしゅん【今川了俊】

1326~1420?) 室町前期の武将・歌学者。俗名、貞世。了俊は法号。範国の子。足利義詮・義満に仕える。冷泉為秀に師事、和歌・連歌をよくした。著「難太平記」「言塵集」「落書露顕」「九州問答」など。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

今川了俊
いまがわりょうしゅん

[生]正中2(1325)?
[没]応永27(1420).8. 京都
室町時代前期の武将,歌人。父は駿河,遠江の守護範国。名は貞世,源金吾と称する。左京亮,伊予守。足利義詮に仕え,侍所所司を経て,建徳2=応安4 (1371) 年九州探題となり九州に下る。菊池氏,島津氏の討伐にあたり,在位 25年間で九州一円を幕府勢力下におくことに成功した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

今川了俊
いまがわりょうしゅん
(1326―?)

南北朝時代の武将で、歌人としても著名。俗名は貞世(さだよ)、今川範国(のりくに)の子。冷泉為秀(れいぜいためひで)に和歌を学び、二条良基(よしもと)に連歌を学ぶ。官位は左京亮(さきょうのすけ)を経て伊予守(いよのかみ)、正五位下。1367年(正平22・貞治6)室町幕府の引付頭人(ひきつけとうにん)となり、また侍所(さむらいどころ)頭人として山城(やましろ)守護を兼ねた。同年末、将軍足利義詮(あしかがよしあきら)が死去したのを機に剃髪(ていはつ)して了俊と号す。71年(建徳2・応安4)2月、九州探題としてその任についた。西下の途中、安芸(あき)守護となり、中国地方の諸雄族を招き軍事力を増強した。当時九州では懐良(かねよし)親王、菊池武光(たけみつ)を中心とした南朝方(征西府)の黄金時代であったが、同地の諸士にも連絡をつけ、これらの力を結集し翌年8月、懐良親王の拠(よ)る大宰府(だざいふ)を陥落させ、74年(文中3・応安7)末には撤退した菊池氏を追い、肥後水島に陣を張った。この間、武藤(むとう)(少弐(しょうに))冬資(ふゆすけ)を謀殺したため、島津氏久(うじひさ)の背反にあい、九州経営がいったん困難に陥ったが、武藤氏を完封して、探題の権限を確立、大宰府を押さえて、対外交渉の実質的権限を握った。81年(弘和1・永徳1)6月には菊池氏の本拠を陥落させるなど着実に九州経営を進め、南九州では最大の障害であった島津氏久も続いて死去した。これにより了俊の九州経営は実を結び、南朝勢力を制圧。しかし長期にわたる了俊の探題在任は九州を単位とする分権的な勢力の出現を意味し、これが幕府の嫌うところとなり、95年(応永2)閏(うるう)7月、了俊は京都に召還され、探題の任を解かれた。応永(おうえい)の乱のおり、大内義弘(よしひろ)と鎌倉公方(くぼう)との提携を図って失敗したのを機に、残余の人生を和歌、連歌の指導と、述作に捧(ささ)げ、武門の人でありながら、冷泉歌学の伝統を守り、歌論書、連歌学書、紀行文、故実書など多くの著作を残した。著書に『難太平記』がある。[上田純一]
『児山敬一著『今川了俊』(1944・三省堂) ▽川添昭二著『今川了俊』(1964・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の今川了俊の言及

【安芸国】より

… 弘世は66年石州平定後安芸に進出し,翌年厳島神主に口入(くにゆう)して高田郡長田・保垣等の下地を地頭内藤道泰に預けさせ,また諸豪族による国衙領に対する違乱停止を命ぜられた。71年(建徳2∥応安4)には,その前年九州探題を拝命した今川了俊が安芸守護となって下着し,毛利,熊谷,厳島神主等を従えて西下した。了俊は以後九州から守護権限に基づき所領の預置などを行ったが,同時にその下で大内氏が所領の預置・安堵などを行っている。…

【今川貞世】より

…南北朝期の幕府方の武将,歌人。今川範国の次子。1418年(応永25)7月以前に没した。1366年(正平21∥貞治5)ころ,室町幕府の侍所となり,山城守護を兼ね,67年12月の将軍足利義詮の死に伴い,出家して了俊と号した。引付頭人を兼務し,また範国の譲りをうけて遠江守護も兼務した。70年(建徳1∥応安3),南朝勢力が優勢な九州を平定するため九州探題に補任され,翌71年弟で養子となった仲秋(頼泰),弟の氏兼,子の貞臣らの一門子弟とともに九州に下向した。…

【応永の乱】より

…1399年(応永6)西国の雄大内義弘が,室町幕府・将軍権力に反抗して敗死した乱。防長を基盤とする大内氏は,弘世,義弘と2代にわたり,今川了俊の九州経営,明徳の乱における山名氏の討滅など室町幕府権力の確立に多大の貢献があった。義弘の代には,防長,石見に加え,豊前,紀伊,和泉など6ヵ国守護職を兼帯する大守護となった。…

【大隅国】より

…しかしやがて畠山氏と島津氏が大隅の支配権をめぐって争うことになり,一時は大隅国の豪族の大半は畠山方について島津氏を苦しめた。その後今川了俊は反抗する島津氏久を牽制するため,一時はみずから守護職を兼帯し,大隅国の豪族を中心に一揆を結成させ,対抗させたりした。このようにして島津氏の大隅支配は難渋を極めたが,氏久・元久らは鹿児島東福寺城から大隅大姶良城に入り,さらに日向志布志内城に入って形勢の挽回を策し,しだいに大隅国の豪族にも所領を預け置くなどして帰服させていった。…

【尾道[市]】より

…1320年(元応2)この富裕な町をねらって侵入した軍勢のために1000余軒の民家が焼き払われている。71年(建徳2∥応安4)九州探題として西下途中の今川了俊は,山の麓に家々が網を干す庭もないほど所狭く建ち並び,港には遠国の船が多く出入りしていると述べている。1420年(応永27)朝鮮使節の宋希璟は,往復ともにこの地に立ち寄っており,人家が海岸にびっしりと屋根を接し,寺々が山上まで重なり連なって建っている情景を記している。…

【歌論】より

…たとえば《野守鏡(のもりのかがみ)》は作者未詳の歌論書であるが,二条派の立場に立って為兼を初めとする京極派を攻撃した書であったし,《延慶両卿訴陳状(えんきようりようきようそちんじよう)》と呼ばれる,《玉葉和歌集》の選者をめぐっての二条,京極両家の厳しい対決を伝える応酬もある。南北朝・室町時代では頓阿(とんあ)の《井蛙抄(せいあしよう)》,二条良基・頓阿の《愚問賢注》,良基の《近来風体抄(ふうていしよう)》等の二条派の歌論書,冷泉派の今川了俊の《弁要抄》《落書露顕(らくしよろけん)》などがある。 室町時代の〈歌論〉で重要なのは,《正徹(しようてつ)物語》である。…

【薩摩国】より

…師久は川内碇山城,氏久は鹿児島東福寺城を拠点に協力して経営に当たった。75年(天授1∥永和1)九州探題今川了俊は肥後に菊池氏を攻め,氏久も出軍していたが,了俊が少弐冬資を謀殺したため,不信感を抱いた氏久は了俊と断絶,帰国して独立の勢いをしめし師久も同調した。了俊は慰留につとめたが成功せず,その守護職を奪ってみずから薩摩・大隅守護の任につき,南九州の国人領主層の連合を形成させて島津氏の領国支配をおびやかそうとした。…

【太平記】より

…近江ノ国ノ住人〉とある。さらに,歌人,武人として高名であった今川了俊(貞世)が1402年(応永9)に著した《難太平記》には《太平記》の成立に関し注目すべき記述がある。法勝寺の恵鎮上人が《太平記》を30余巻持参して等持寺で足利直義に見せたところ,直義はそれを《建武式目》制定に参画した当時の碩学玄恵(げんえ)法印(玄慧)に読ませた。…

【筑後国】より

…63年(正平18∥貞治2)9月には大友氏時が幕府から当国守護に補任され,守護職はそのまま子の氏継に伝えられた。71年(建徳2∥応安4)九州に下向した九州探題今川了俊は守護に補任され,国内の宮方の攻略にもあたった。74年(文中3∥応安7)了俊は高良山に陣をとる菊池武朝を攻め,武朝は肥後に帰国した。…

【筑前国】より

…菊池氏をはじめとする宮方は59年8月,筑後大保原(おおほばる)で少弐頼尚を破り(筑後川の戦),61年(正平16∥康安1)少弐冬資を敗走させ,征西将軍宮懐良(かねよし)親王が大宰府に入った。71年(建徳2∥応安4)九州探題今川了俊が下向して宮方討伐に着手し,翌72年(文中1∥応安5)8月宮方の拠点となっていた大宰府を占領した。75年(天授1∥永和1)8月,了俊は守護少弐冬資を肥後水島に誘殺し,みずからが守護となった。…

【包み】より

…〈包む〉という語は〈苞(つと)〉と語源を同じくするが,〈苞〉とはわらなどを束ねてその両端を縛り,中間部で物をくるむもの(藁苞(わらづと))であり,後には贈物や土産品の意味(家苞(いえづと))にも使われるようになった。また心理的方面においては〈包む〉は〈慎しむ〉に通じて〈隠す〉〈秘める〉〈はばかる〉といった意味合いを含み,ことに儀礼的局面におけるさまざまな〈包み〉の技法の心理的背景となってきた。
[〈包み〉技法の系譜]
 かつては食を得ることが人間にとって最優先の仕事であり,食物を採集・運搬・保存するために〈包み〉はまず必要な方法であった。…

【日向国】より

…また氏久は大隅大姶良(おおあいら)城より志布志内城に入り,貞久の弟新納(にいろ)時久,樺山資久,北郷(ほんごう)資忠らとともに大隅,日向の経営に当たった。71年(建徳2∥応安4)九州探題として下向してきた今川了俊は南朝方勢力の強い九州の情勢を,武家方に有利に改変しようと努めた。島津氏久の離脱等により菊池氏討滅に失敗したものの,漸次態勢を整え南九州の在地領主を後援して島津家に対抗させ,反島津一揆形成を実現させるなどしている。…

※「今川了俊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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