ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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九州の北端、豊前(ぶぜん)国小倉(こくら)から北西端にあたる肥前(ひぜん)国長崎に至る旧街道。小倉から黒崎で筑前国に入り、筑前六宿(むしゅく)街道といわれる黒崎、木屋瀬(こやのせ)、飯塚(いいづか)、内野(うちの)、山家(やまえ)、原田(はるだ)を経て田代(たしろ)に至る。この間、多くの丘陵・山地を越え、とくに、内野―山家間には冷水(ひやみず)峠の難所があった。田代で薩摩(さつま)街道を分岐し、原田の西方、轟木(とどろき)付近で肥前国に入り、中原(なかばる)、神崎(かんざき)、堺原(さかいばる)を経て佐賀城下に入り、牛津(うしづ)付近で唐津(からつ)街道を分岐している。さらに西方は北方(きたがた)、塩田(しおた)を経て嬉野(うれしの)に達したが、1717年(享保2)以後は北方から武雄(たけお)を経て嬉野に至る街道に変わり、以後、塩田宿場はさびれた。嬉野から大村湾岸、彼杵(そのぎ)に達し、大村湾岸を南下、大村・諫早(いさはや)を経て、橘(たちばな)湾岸の矢上(やがみ)に至り、日見(ひみ)峠を越えて長崎に至る。また、彼杵港から大村湾を渡り、時津(とぎつ)港を経て長崎に至る海上路も利用された。とくに、鎖国以後、長崎からこの街道の利用によって海外文化が流入され、その果たした役割は多大であった。
[石井泰義]
『奥村芳太郎編『九州路』(1972・毎日新聞社)』
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