益永村(読み)ますながむら

日本歴史地名大系 「益永村」の解説

益永村
ますながむら

[現在地名]田主丸町益生田ますおだ

東麦生ひがしむぎお村の東に位置し、久留米城下と豊後国日田を結ぶ山辺やまべ往還(豊後山辺道)が通る。升永村とも記した。天正二年(一五七四)当村の給人笠間日向守が二田ふたたから来光らいこう(現真宗大谷派)当地に移したが、明暦三年(一六五七)村島むらじま村に移った(寛文十年寺社開基)。本高は三二一石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高三六〇石・役高五六四石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む