朝日日本歴史人物事典 「益田勤斎」の解説
益田勤斎
生年:明和1(1764)
江戸中期の篆刻家。名は濤,字は万頃,通称は重蔵。勤斎,雲遠,浄碧などと号す。江戸の人。書画・古器物の鑑識に詳しく,詩書をよくし,特に篆刻に優れた。清代初期の『飛鴻堂印譜』(1752)の風を受けた精緻で優美な作風によって一派を成し,浄碧居派と称され,養子の遇所,その子香遠,香遠の甥の香雪と4代にわたって家風を守り,浜村蔵六代々の蔵六居派と共に江戸の篆刻界の二大流派を形成した。勤斎の印譜に『勤斎印存』があり,香雪におよぶ4代の印を集めたものに『浄碧居集印』がある。
(北川博邦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報