日本歴史地名大系 「目垣村」の解説 目垣村めがきむら 大阪府:茨木市目垣村[現在地名]茨木市目垣一―三丁目・南目垣(みなみめがき)一―三丁目・新堂(しんどう)三丁目東の玉(たま)川と西の安威(あい)川に挟まれた平坦な村で南は低湿地帯。玉川を境とし東は島上(しまかみ)郡。中世は溝杭(みぞくい)庄に含まれ、在地武士溝杭氏が築いた「新堂井」の井水によって村内が灌漑された。慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図に「溝杭ノ内メカキ村」とみえ、江戸時代前期には溝杭村の五小村の一であった。領主の変遷は溝杭村の項参照。享保二〇年(一七三五)の摂河泉石高調によると村高は七〇二石余、うち四四七石余は旗本宮崎領、二五五石余は幕府領(のちに下総古河藩領)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報