下京区柳馬場通四条下ル
南北に通る柳馬場通(旧万里小路)を挟む両側町。
平安京の条坊では町の西側が左京五条四坊一保八町東、東側は同四保九町西。平安時代中期以降は綾小路万里小路北の地。
四条以南が商工業の町として賑った室町時代には、その中心的役割を担った酒屋が所在しており、応永三三年(一四二六)の酒屋交名(北野天満宮史料)には「綾少路万里少路北東頬 左衛門七郎在判」とある。
また「康富記」の宝徳三年(一四五一)一二月六日条には「庚午、晴、和泉半国守護細河阿波守屋形綾小路万里小路 行向、留守也」とあり、当町を中心とした地に細川勝久邸があった。