相沢 菊太郎
アイザワ キクタロウ
明治・大正期の行政家 相原村(神奈川県)村長。
- 生年
- 慶応2年4月14日(1866年)
- 没年
- 昭和37(1962)年4月26日
- 出生地
- 神奈川県相原村(現・相模原市)
- 経歴
- 明治41年生地の神奈川県相原村の村長となり、横浜鉄道(のちJR横浜線)の橋本駅開設や相模農蚕学校(のち相原高校)の誘致に尽力する。18年から死の直前までの生活を記録した「相沢日記」を残した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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相沢菊太郎 あいざわ-きくたろう
1866-1962 明治-大正時代の村長。
慶応2年4月14日生まれ。明治41年生地の神奈川県相原村(相模原(さがみはら)市)の村長となり,横浜鉄道(現JR横浜線)の橋本駅開設や相模農蚕学校(現相原高)の誘致につくす。明治18年から死の直前までの生活を記録した「相沢日記」をのこした。昭和37年4月26日死去。96歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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