相生村(読み)おおむら

日本歴史地名大系 「相生村」の解説

相生村
おおむら

[現在地名]相生市相生あいおい・相生一―五丁目・あさひ一―六丁目・双葉ふたば三丁目・川原町かわはらちよう大谷町おおたにちよう古池ふるいけ一―二丁目・古池本町ふるいけほんまち千尋町ちひろちよう向陽台こうようだい

播磨灘に面し、深く湾入した天然の良港那波なば(現相生湾)の湾奥に位置した漁村相生おお浦とも記される。村名は清和源氏海老名家系図(那波家蔵)には、文治二年(一一八六)海老名盛重が相模国から当地に来住した際、「相」の字をとり居城大島おおしま城の呼称をとって「おお」と称したと記す。元禄郷帳では「相生あふ」、「伊能忠敬測量日記」には「相生をふ相生をを」、「地名索引」では「相生あひふ」と訓じている。明治頃まで地元では「おお」と発音したとされる。

「播磨国風土記」揖保いぼ郡の条に「室原の泊」の次に「白貝の浦」が記されている。室原泊とは室津むろつ(現御津町)で、白貝は「オフ」と訓む(和名抄)ことから同湾内おお浦、あるいは当地の古称に引きつけて当浦に比定する両説があるが、当地は赤穂郡にあるので、白貝浦を当浦とみることはできない。鎌倉時代のものとされる年未詳八月一日の政所某による相生浦入舟次第(東京大学史料編纂所影写本海老名文書)に「はたいたふね」「ともまわりふね」「おとからふね」がみえ、相生浦に出入りしていた船の種類に対応した代が定められていた。矢野やの庄では那波浦のうちとして把握されていたとみられる(文永元年八月二一日「海老名頼保所職等譲状」京都大学総合博物館蔵海老名文書)。暦応四年(一三四一)一月一四日相生浦梶取孫三郎に例名内那波浦助延名年貢が与えられている(「預所某下知状写」那波家文書)。長禄二年(一四五八)一一月一〇日の貫守・英椿連署下地宛行状(同文書)によれば、「相生村道円入道」の支証に任せ矢野庄助延名内の地を某に宛行っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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