県宗知(読み)あがた・そうち

朝日日本歴史人物事典 「県宗知」の解説

県宗知

没年享保6.6.27(1721.7.21)
生年:明暦2(1656)
江戸中期庭師,茶人。名は俊正,玉泉子と号した。幕府の御庭方を勤めたと伝え,小堀遠州作といわれる庭園には宗知の作が多いといわれる。茶の湯を遠州の高弟上柳甫斎に学ぶ。日常即茶の湯ととらえ,自然な茶を行うべきことを主張した。門下に老中土屋政直や幕府御数寄屋頭の高橋休閑,県三悦・三知らがいる。著作に,宝永1(1704)年,その茶法を記して弟子の高橋休閑に与えた『宗知秘伝抄』(『県宗知茶書』)がある。

(谷端昭夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「県宗知」の解説

県宗知 あがた-そうち

1656-1721 江戸時代前期-中期の茶人,庭師。
明暦2年生まれ。江戸の人。遠州流の茶人上柳甫斎(かみやなぎ-ほさい)の門人で,幕府の御庭方をつとめた。小堀遠州作といわれる庭には宗知の作がおおいという。享保(きょうほう)6年6月12/27日死去。66歳。名は俊正。号は玉泉子。著作に「県宗知茶書」「庭作心得書」など。

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