日本歴史地名大系 「知恩寺村」の解説 知恩寺村ちおんじむら 大分県:豊後高田市知恩寺村[現在地名]豊後高田市鼎(かなえ) 智恩寺(ちおんじ)雷(いかずち)村の南東、桂(かつら)川と支流都甲(とごう)川の合流点付近に位置する。江戸時代の領主の変遷は高田(たかだ)村に同じ。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、高一六二石余、家数一八(うち百姓八、うらや・庭や・牛屋一〇)・人数三四(うち百姓八・名子二)、牛五・馬二。元和八年(一六二二)の走り百姓帳(松井家文書)によると、慶長一八年(一六一三)に当村の四人が速見郡鶴見(つるみ)村(現別府市)に逃散している。正保郷帳では来縄(くなわ)郷に属し、田方八四石余・畑方三五石余、日損所で茅山・柴山・新田がある。安永三年(一七七四)の島原藩領郷村帳(島原半島史)では高一二三石余、ほかに同所新田二一石余がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by