日本歴史地名大系 「石丸城跡」の解説 石丸城跡いしまるじようあと 福井県:福井市旧吉田郡地区石森村石丸城跡[現在地名]福井市石盛町南北朝時代以来の城跡で、石盛(いしもり)町東部に館中(たちなか)・館前(たちまえ)の字名を残す。斯波高経の拠った足羽(あすわ)七城を攻撃する際の南朝方新田義貞の拠城であり、義貞戦死後も南朝方の重要拠点として弟の脇屋義助が居城した。「太平記」巻二〇(義助重集敗軍事)に「脇屋右衛門佐義助ハ、河合ノ石丸ノ城ヘ打帰テ、義貞ノ行末ヲタヅネ給フニ、(中略)討レ給ヒケリト申合ケレバ」とあり、続いて「人ノ心モ頓テ替リケルニヤ、野心ノ者内ニアリト覚ヘテ、石丸ノ城ニ火ヲ懸ントスル事、一夜ノ内ニ三箇度也」と記されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by