足羽(読み)あすわ

百科事典マイペディア 「足羽」の意味・わかりやすい解説

足羽【あすわ】

古代以来の越前国の地名で,旧足羽郡福井県足羽郡美山(みやま)町(現・福井市)と福井市のそれぞれ一部にあたる。郡名以外にも足羽川足羽山足羽御厨(みくりや)・足羽県などの地名がある。古代の足羽郡は越前国のやや北に位置し,鎌倉時代までに分置された吉田郡を含んだ。その主要部は福井平野で,郡名は731年の《越前国正税帳》にみえるのが早い。《和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)》は〈安須波〉と訓じる。早くから開け,足羽山には足羽山古墳群があり,平野部には東大寺領道守(ちもり)荘糞置(くそおき)荘などが成立した。中世には郡の北西部を足羽北郡,南東部を足羽南郡と称したが,1664年もとに復した。足羽御厨は伊勢神宮領で,近世の福井城下一帯に比定される。《神鳳鈔》に〈内宮足羽御厨 上分絹七疋,口入二十疋,百八十丁〉とある。近世の足羽郡はほとんど福井藩領であった。1871年の廃藩置県の際に一時期足羽県が置かれた。足羽山はもとは木田山・愛宕山などとよばれ,山上に郡名を負う式内社の足羽神社がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「足羽」の意味・わかりやすい解説

足羽 (あすわ)

越前の地名。古くは阿(安)須波と記し,現在の福井市周辺の広い地域をさす。足羽川,足羽山,足羽郡など,川や山や郡名に冠される。足羽郡の名は天平3年(731)の《越前国正税帳》にはじめて見え,《延喜式》にみえる越前6郡の一つ。中世には郡の北西部を足羽北郡,南東部を足羽南郡と称したが,1664年(寛文4)再び元に復した。1871年(明治4)廃藩置県の際,一時(明治4年12月から同6年1月までの間)足羽県が置かれたこともあった。第2次大戦後の町村合併で,旧郡域はほとんど福井市に合併され,2006年美山町も同市に編入した。古くは生江(いくえ)山と呼ばれた足羽山に所在する古墳群は,古代,道守(ちもり)荘を東大寺に寄進した足羽郡大領生江東人や同少領阿須波束麻呂など,生江氏,足羽氏一族の墓と比定される。同山上の足羽神社は継体天皇をはじめ九神を合祀する。また足羽神明社は伊勢神宮の分社で,足羽御厨を領した。《神鳳抄》に〈内宮足羽御厨,上分絹七疋,口入二十疋,百八十丁〉とある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「足羽」の意味・わかりやすい解説

足羽
あすわ

福井県足羽郡にあった旧町名。現在の福井市域の南東部にあたる。大部分は足羽川の緩い扇状地で、良質米の産地として知られる。付近には条里の跡が歴然と残り、一乗谷(いちじょうだに)は戦国時代の守護朝倉氏の居城地。731年(天平3)の「越前(えちぜん)国正税帳」(正倉院(しょうそういん)文書)に足羽郡の名が初めてみえ、『和名抄(わみょうしょう)』には安須波と書かれている。

[印牧邦雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「足羽」の意味・わかりやすい解説

足羽
あすわ

福井県北部,福井市の南東部を占める地区で旧町名。 1971年福井市に編入。足羽川が越前中央山地から福井平野に出る地一帯を占める。西部の平野は条里制の跡を残し,東大寺文書にもその名がある。東部の山地は戦国大名朝倉氏が一乗谷城を築き 100年にわたり越前支配の拠点とした。一乗谷朝倉氏遺跡は特別史跡,一乗谷朝倉氏庭園は特別名勝。

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