朝日日本歴史人物事典 「石坂宗哲」の解説
石坂宗哲
生年:明和7(1770)
江戸後期の鍼術家。名は永教,号は竿斎。甲府の人。寛政年間(1789~1801)に江戸幕府に召し出されて奥医師となる。オランダ医学が浸透してきた時代,その影響を大いに受けた。特に解剖学を学び,その立場から東洋医学の経穴(ツボ),経絡を論じようとした。侍医法眼になったとき,来日したシーボルトが鍼に興味を持ち,長崎から文通して宗哲に教えをこい,宗哲は自著と自分の使っている鍼一式を贈り(オランダ・ライデンの民族博物館蔵),実技を披露した。著書に『内景備覧』『骨経』『針灸説約』があり,養子宗圭の書いた『鍼灸茗話』がその治療方法を伝えている。
(高島文一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報