石川七財(読み)いしかわ・しちざい

朝日日本歴史人物事典 「石川七財」の解説

石川七財

没年:明治15.7.30(1882)
生年:文政11.4.8(1828.5.21)
明治期の実業家。幼名は七左衛門,号は花渓。土佐(高知)藩の足軽の子。藩の下横目(目付)となり,岩崎弥太郎内偵を命じられたが,かえって岩崎人柄に惚れて部下になり,三菱商会の大阪支店長に就任。明治10(1877)年に西南戦争が起こると,梅田駅積荷監督として九州への軍需輸送に成果をあげ,以後は管事として三菱の中枢を担った。岩崎が「草莱を墾開するの力はわれ石川に許し,播種殖穀の功はわれ川田(小一郎)に許す」と評したのは有名である。三菱の「創業功臣」と称されたが,コレラにかかって急死した。<参考文献>実業之世界社編『財界物故傑物伝』上

(三島康雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川七財」の解説

石川七財 いしかわ-しちざい

1828-1882 明治時代の実業家。
文政11年4月8日生まれ。もと土佐高知藩士。明治3年岩崎弥太郎監督下の大坂商会の内偵におもむき,その人柄に魅せられ,同会の後身九十九(つくも)商会にはいる。名を七左衛門から七財とあらため,川田小一郎とともに三菱会社の創業につくす。8年管事となり,汽船事業を統括した。明治15年7月30日死去。55歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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