朝日日本歴史人物事典 「石川七財」の解説
石川七財
生年:文政11.4.8(1828.5.21)
明治期の実業家。幼名は七左衛門,号は花渓。土佐(高知)藩の足軽の子。藩の下横目(目付)となり,岩崎弥太郎の内偵を命じられたが,かえって岩崎の人柄に惚れて部下になり,三菱商会の大阪支店長に就任。明治10(1877)年に西南戦争が起こると,梅田駅積荷監督として九州への軍需輸送に成果をあげ,以後は管事として三菱の中枢を担った。岩崎が「草莱を墾開するの力はわれ石川に許し,播種殖穀の功はわれ川田(小一郎)に許す」と評したのは有名である。三菱の「創業の功臣」と称されたが,コレラにかかって急死した。<参考文献>実業之世界社編『財界物故傑物伝』上
(三島康雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報