石川善右衛門(読み)いしかわ・ぜんえもん

朝日日本歴史人物事典 「石川善右衛門」の解説

石川善右衛門

没年:寛文9.12.1(1670.1.22)
生年:慶長12(1607)
江戸前期の水利土木家。備前国岡山藩士。名は成一。善右衛門は通称。寛永8(1631)年父八兵衛死後その跡を継ぎ代官となり,同19年郡奉行となった。承応3(1654)年7月備前各地に大水害が発生,藩主池田光政の命を受け被害が激しかった児島郡救済に当たった。各地を視察し,旱水害の地児島郡に福林池,森池をはじめ,郡内各地に300余の池を造成し,旱害の憂いを除いた。寛文5(1665)年に父から継いだ150石に加えて100石を加増され,普請奉行となる。後年の文化3(1806)年郡民によって瑜伽山に頌徳記念碑が建てられた。<参考文献>『吉備温故秘録』『岡山県児島郡誌』

(神立春樹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川善右衛門」の解説

石川善右衛門 いしかわ-ぜんえもん

1607-1670* 江戸時代前期の武士,治水家。
慶長12年生まれ。備前岡山藩士。寛永19年児島郡奉行となる。承応(じょうおう)3年の水害からの復旧に尽力し,10年にわたって300余の溜め池をつくり,治水と灌漑(かんがい)に功績をあげた。寛文5年普請奉行。寛文9年12月1日死去。63歳。名は成一(なりかず)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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