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住友家 すみともけ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

住友家
すみともけ

住友財閥前身住友氏の祖政友は,京都で薬種商や書店を経営していたが,寛永7 (1630) 年泉屋と称し,大坂で銅商を営み,寛文2 (62) 年友信のとき,京都,大坂に吹所 (製錬所) を設けて製銅,交易を行うにいたった。元禄3 (90) 年友芳のとき別子銅山を発見,翌年開坑し,寛延2 (1749) 年友昌は立川銅山を請負うにいたり,両山を経営して,住友家隆盛の基礎を築いた。江戸時代末期,維新期には,銅の産出高も減り,経営難に陥り,一方討幕派の土佐藩によって鉱山は差押えられたが,維新後政府に請願し,支配人広瀬義右衛門の努力によって採鉱権を得,経営の改革を断行し,西洋技術を導入して近代化を行い,財閥の基礎をつくった。

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百科事典マイペディアの解説

住友家【すみともけ】

江戸時代の商家住友財閥の前身。本来は武士の出で,涅槃(ねはん)宗という新仏教の僧であった初代政友(まさとも)が僧籍を離れてのち薬種・出版業を営み,婿養子(甥)の2代友以(とももち)が京都で銅商泉屋を興した。
→関連項目豪商広瀬宰平

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世界大百科事典 第2版の解説

すみともけ【住友家】

近世の商家。住友財閥の前身。住友家は,2代友以(とももち)が京都で銅商泉屋を興し,1620年代から大坂を本拠として銅の精錬・輸出と外国品の輸入という家業の基礎を固め,3代友信,4代友芳の時代に諸銅山の稼行,江戸・長崎出店の設置,両替・為替業へ進出して,隆盛期を迎えた。また事業上の担保として家屋敷数十ヵ所を所有するとともに質地の流れ込んだ山本新田などの田畑を経営し,幕末には別子銅山の近辺で飯米用の新田を開発した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

住友家
すみともけ

大坂の豪商。桓武平氏(かんむへいし)の出といわれ、戦国末期には越前(えちぜん)丸岡(福井県)の城主であったと伝える。商家住友の祖政友(まさとも)は初め僧となったが、のち還俗(げんぞく)、京都で書籍の出版、薬舗を営んだ。2代友以(とももち)は実父蘇我理右衛門(そがりえもん)(政友の姉婿(あねむこ))が伝習開発した銀銅分離の新技術(南蛮吹(なんばんぶき))をもって家業を確立し、また実家の屋号を継いで泉屋と称した。友以は1630年(寛永7)本拠を大坂に移し、銅精錬、銅貿易をはじめ、その他の輸入貿易、鉱山開発などに事業を広げ、3代友信(とものぶ)(初めて吉左衛門(きちざえもん)を称す)は出羽(でわ)幸生銅山(さちうどうざん)(山形県)、備中(びっちゅう)吉岡銅山(岡山県)などを経営、4代友芳(ともよし)に至り伊予別子銅山(べっしどうざん)(愛媛県)を開発して家業はいっそう栄えた。住友家はこのほか金融業、不動産業をも営んでいる。明治維新後は主業である別子銅山の近代化とともに、1875年(明治8)新たに本店を設け、大正・昭和にかけて住友合資会社、株式会社住友本社と改組、傘下に直系15社を擁し一大財団を形成するに至った。
 第二次世界大戦後に住友本社は解散したが、各社は復興再建に努め、現在主要21社が住友グループとして、各業界に活躍している。[川崎英太郎]

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