日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラファイエット夫人」の意味・わかりやすい解説
ラファイエット夫人
らふぁいえっとふじん
Comtesse de Lafayette, Marie-Madeleine Pioche de La Vergne
(1634―1693)
フランスの女流作家。小貴族の出でパリに生まれ、メナージュGilles Ménage(1613―1692)を師として文学的教養を身につける。娘時代から宮廷に出、地方貴族ラファイエット伯爵との結婚後もパリに住み、ルイ14世の王弟妃アンリエット・ダングルテールHenriette d'Angleterre(1644―1670)の侍女を勤めるとともにサロンで「神々しき理性」(セビニエ夫人評)をうたわれる。1670年に発表された王弟妃の生涯と悲劇的な死を描いた『アンリエット・ダングルテール伝』(1720初版)は、彼女の作とされる珠玉の記録文学。同妃の死後もサボア公妃に仕えるなど宮廷生活の機微に通じる。姻戚(いんせき)でもあるセビニエ夫人のほかスグレJean Regnault de Segrais(1624―1701)、ユエPierre‐Daniel Huet(1630―1721)など有数の文人を友とし、とくに『箴言(しんげん)集』(1664~1678)の著者で隣人のラ・ロシュフコーとは肝胆相照らす。
作品はすべて匿名や没後刊行のため協力関係など問題は残すが、透徹した心理解剖と古典的な端正な構成で同時代の冗長な物語を抜き、近代恋愛心理小説の道を拓(ひら)いている。代表作『クレーブの奥方』(1678)のほか短編『モンパンシエ公爵夫人』(1662)、1718年に発表された『タンド伯爵夫人』、スグレの名で出た「物語」風の『ザイード』Zayde(1670)、1731年刊の『1688、1689年フランス宮廷の記録』Mémoires de la Cour de France pour les années 1688 et 1689などがある。
[二宮フサ]
『生島遼一訳『クレーヴの奥方 他2編』(岩波文庫)』