石川新田村(読み)いしかわしんでんむら

日本歴史地名大系 「石川新田村」の解説

石川新田村
いしかわしんでんむら

[現在地名]藤岡町石川

東を巴波(うずま)川が南へ流れ、西は赤麻(あかま)沼、南は石川沼、北は帯刀(たてわき)新田村。天正年間(一五七三―九二)の開発といい、水塚上に集落がある。慶安郷帳に村名がみえ、田三〇石余・畑六四石余、幕府領。寛文四年(一六六四)の武蔵岩槻藩領知目録には寒川(さむかわ)郡として村名がある。元禄郷帳では下総古河藩領。天保(一八三〇―四四)頃の古河藩領村明細帳(茨城県潮田文書)によれば、高一六二石余、田三町三反余・畑四一町二反余。根取高米一〇石余・永二〇貫三六七文、野永三八八文・川役永九三文・夫永一貫二八〇文・糠藁永・大豆三石余を納める。家数六四、男一二一・女一二六、馬五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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