石巻城跡(読み)いしのまきじようあと

日本歴史地名大系 「石巻城跡」の解説

石巻城跡
いしのまきじようあと

[現在地名]石巻市日和が丘一―二丁目・門脇町一丁目

日和ひより山山頂の鹿島御児かしまみこ神社を中心とすると思われる中世城館跡。主要な平場は神社境内で、社殿後方に経塚とも思われる古塚が一基ある。後世の手が著しく加えられているため、とくに西と北の外郭線が不明瞭である。昭和五八年(一九八三)の発掘調査の際、広範にわたる焼土や炭化物が発見され、大永八年(一五二八)伊達・蘆名連合軍が石巻城を落とした時、焼打ちされたのではないかと考えられている。「古城書立之覚」に「右城主葛西三郎清重ヨリ左京大夫晴信迄歴代居住」とあるように、鎌倉幕府の奥州総奉行葛西清重以来、葛西氏の本拠地とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む