生没年不詳。鎌倉前期の武将。通称葛西三郎。秩父(ちちぶ)氏一族豊嶋清元(としまきよもと)の子。下総(しもうさ)葛西庄(しょう)を本拠とした。1180年(治承4)8月の源頼朝(よりとも)挙兵にはくみしなかったが、まもなく帰服し、平家追討には源範頼(のりより)に従った。89年(文治5)奥州藤原氏追討に功があり、陸奥(むつ)国御家人奉行(ごけにんぶぎょう)に任じられ、陸奥国胆沢(いさわ)、磐井(いわい)、牡鹿(おしか)郡などを拝領した。以後、伊沢家景(いざわいえかげ)とともに奥州総奉行として活躍した。源頼朝死後、畠山重忠(はたけやましげただ)追討に先陣となり、和田義盛(わだよしもり)の乱にも出陣、1221年(承久3)承久(じょうきゅう)の乱に幕府方の重鎮として軍議に参加したが、鎌倉にとどまった。館は鎌倉葛西ヶ谷にあった。
[伊藤一美]
『杉山博編『豊嶋氏の研究』(1974・名著出版)』▽『豊田武編『東北の歴史 上巻』(1967・吉川弘文館)』
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(入間田宣夫)
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…始祖は系図諸本により将常の子武常説,武常の曾孫清元説,清元の子清重説に分かれる。葛西清重のとき,源頼朝の鎌倉幕府創立に加わり,大武士団に発展。葛西郡(御厨・小鮎猿俣郷)地頭職とともに,下総国一宮香取社の造営差配役を千葉介と世襲的に交替で担当する下総国司的地位を確立し,武蔵国丸子荘ほか甲斐,美濃など諸国に所職を獲得した。…
…
[鎌倉時代]
1189年(文治5)の奥州征伐によって,奥州藤原氏を攻め滅ぼした源頼朝は,戦後この国に2人のいわゆる奥州総奉行(おうしゆうそうぶぎよう)をおいた。その1人は,合戦の直後に平泉におかれた葛西清重で,彼は陸奥国の御家人統率と,平泉郡内検非違所(けびいしよ)すなわち検断(警察)のことを命ぜられた。もう一人は,翌年の平泉残党の蜂起,大河兼任(かねとう)の乱の後で,国衙の多賀城におかれた伊沢(留守)家景である。…
※「葛西清重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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