葛西清重(読み)かさいきよしげ

精選版 日本国語大辞典 「葛西清重」の意味・読み・例文・類語

かさい‐きよしげ【葛西清重】

  1. 鎌倉初期の武士。平氏。通称三郎。壱岐入道。下総の豪族の出で、源頼朝の平家追討奥州征伐に従って戦功を立て、奥州総奉行となる。頼朝の死後重臣として重んじられた。法名定蓮。応保二~暦仁元年(一一六二‐一二三八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「葛西清重」の意味・わかりやすい解説

葛西清重
かさいきよしげ

生没年不詳。鎌倉前期の武将。通称葛西三郎。秩父(ちちぶ)氏一族豊嶋清元(としまきよもと)の子。下総(しもうさ)葛西庄(しょう)を本拠とした。1180年(治承4)8月の源頼朝(よりとも)挙兵にはくみしなかったが、まもなく帰服し、平家追討には源範頼(のりより)に従った。89年(文治5)奥州藤原氏追討に功があり、陸奥(むつ)国御家人奉行(ごけにんぶぎょう)に任じられ、陸奥国胆沢(いさわ)、磐井(いわい)、牡鹿(おしか)郡などを拝領した。以後、伊沢家景(いざわいえかげ)とともに奥州総奉行として活躍した。源頼朝死後、畠山重忠(はたけやましげただ)追討に先陣となり、和田義盛(わだよしもり)の乱にも出陣、1221年(承久3)承久(じょうきゅう)の乱に幕府方の重鎮として軍議に参加したが、鎌倉にとどまった。館は鎌倉葛西ヶ谷にあった。

[伊藤一美]

『杉山博編『豊嶋氏の研究』(1974・名著出版)』『豊田武編『東北の歴史 上巻』(1967・吉川弘文館)』

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改訂新版 世界大百科事典 「葛西清重」の意味・わかりやすい解説

葛西清重 (かさいきよしげ)

鎌倉初期の御家人。生没年不詳。下総国葛西御厨に拠り,葛西三郎と称す。源頼朝挙兵のときから信任を得て,江戸重長帰属などに功あり。1189年(文治5)平泉周辺の5郡2保地頭職とともに奥州総奉行補任。翌年12月右兵衛尉,1219年(承久1)壱岐守に任官。頼朝没後は宿老として幕府重鎮の地位を保持。〈笠井系図〉によると,父は豊島権守清元,母は下河辺庄司行義の女,1237年(嘉禎3)81歳で死没という。
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朝日日本歴史人物事典 「葛西清重」の解説

葛西清重

生年:生没年不詳
鎌倉幕府創業の功臣。弓馬の達人。下総国葛西御厨(東京都葛飾区)を本領とする。治承4(1180)年源頼朝挙兵の直後,父親豊島清元と共に,御家人の列に加わる。文治5(1189)年奥州合戦では,阿津賀志山(福島県国見町)の平泉勢を討ち,功績により,奥州惣奉行に任命された。奥州の御家人を率いる重職である。都市平泉をめぐる5郡2保の地頭職を給与されたのも同時である。頼朝の死後も将軍に近侍し,御家人仲間の宿老として重んじられた。三郎→右兵衛尉→壹岐守→壹岐入道という呼称の変遷が知られる(『吾妻鏡』)。<参考文献>『石巻の歴史』6巻

(入間田宣夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「葛西清重」の解説

葛西清重 かさい-きよしげ

1162-1238 鎌倉時代の武将。
応保2年生まれ。豊島清光の子。本領は下総(しもうさ)葛西御厨(みくりや)。元暦(げんりゃく)元年源範頼(のりより)にしたがって西海の平氏追討にくわわる。文治(ぶんじ)5年(1189)奥州藤原氏攻略の際の功により奥州総奉行となり,御家人の統率にあたった。承久(じょうきゅう)の乱には,幕府の重臣として軍議に参加。嘉禎(かてい)4年9月14日死去。77歳。通称は三郎。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「葛西清重」の意味・わかりやすい解説

葛西清重
かさいきよしげ

鎌倉時代,幕府草創期の御家人。豊島清光の子。源頼朝の挙兵時に功があり,側近として信任厚く,文治5 (1189) 年の奥州征伐に従軍したのち,奥州総奉行に任じられた。頼朝没後も幕府の重臣として活躍。

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世界大百科事典(旧版)内の葛西清重の言及

【葛西氏】より

…始祖は系図諸本により将常の子武常説,武常の曾孫清元説,清元の子清重説に分かれる。葛西清重のとき,源頼朝の鎌倉幕府創立に加わり,大武士団に発展。葛西郡(御厨・小鮎猿俣郷)地頭職とともに,下総国一宮香取社の造営差配役を千葉介と世襲的に交替で担当する下総国司的地位を確立し,武蔵国丸子荘ほか甲斐,美濃など諸国に所職を獲得した。…

【陸奥国】より


[鎌倉時代]
 1189年(文治5)の奥州征伐によって,奥州藤原氏を攻め滅ぼした源頼朝は,戦後この国に2人のいわゆる奥州総奉行(おうしゆうそうぶぎよう)をおいた。その1人は,合戦の直後に平泉におかれた葛西清重で,彼は陸奥国の御家人統率と,平泉郡内検非違所(けびいしよ)すなわち検断(警察)のことを命ぜられた。もう一人は,翌年の平泉残党の蜂起,大河兼任(かねとう)の乱の後で,国衙の多賀城におかれた伊沢(留守)家景である。…

※「葛西清重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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