石浜村
いしはまむら
[現在地名]蟹田町石浜
東は陸奥湾に面し、南は中師村、西は山を隔てて小国村、北は深泊村(現塩越)に接する。もとは深泊、杉(現平舘村石浜舟岡)、二ッ谷(現平舘村石浜磯山)の三集落を含んでいた。貞享四年(一六八七)の検地帳によれば、村高一六・八七六石、田方がなく畑方ばかりで、留山奉行の番所があった。元禄三年(一六九〇)には後潟組に属し、村位は下(平山日記)。
石浜村
いしはまむら
[現在地名]東浦町石浜
東は知多湾、南は生路村・藤江村、北は緒川村に接する。天文五年(一五三六)一〇月、清水左京亮が玉洞庵の貞容軒に諸役免除を与えた次の文書がある(徇行記)。
<資料は省略されています>
翌年一一月、水野藤十郎は同庵宛てに「二百文目」を寄進した(同書)。
「寛文覚書」では概高八五〇石五斗余、田地三九町余、畑地一八町七反余、家数八一、人数六三二、塩浜六町一反余は米納とある。「徇行記」によれば、大工三人、樽屋三戸、酒屋一戸があり、黒鍬稼は三〇人ほどで、「庄屋家造リヨシ、酒造ヲ余業トス」という。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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