石間牧(読み)いわまのまき

日本歴史地名大系 「石間牧」の解説

石間牧
いわまのまき

富士川左岸平地の現岩間いわま付近にあったとみられる牧。岩間とも書く。「兵範記」保元二年(一一五七)三月二九日条に「石間牧」とみえ、保元の乱で敗死した左大臣源頼長の所領であったが、乱後に後白河天皇によって没収されて後院領とされた。当牧の成立事情は不詳だが、一二世紀初頭甲斐守であった藤原惟信が立券し、その寄進を受けた藤原忠実から、その子頼長に伝領されたと推定される。建暦三年(一二一三)五月七日、和田義盛の乱の論功行賞が行われ、「岩間」の地が伊賀二郎兵衛尉(光宗)に与えられている(吾妻鏡)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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