日本歴史地名大系 「六郷町」の解説 六郷町ろくごうちよう 山梨県:西八代郡六郷町面積:一三・二八平方キロ西八代郡の西部、河内(かわうち)地方のほぼ中央に位置し、北東部は市川大門(いちかわだいもん)町に、北西部は南巨摩郡鰍沢(かじかざわ)町に、南部は下部(しもべ)町に接しており、これらの境界は御坂(みさか)山地から分岐した小支脈の分水嶺にほぼ一致する。西部は富士川を隔てて南巨摩郡中富(なかとみ)町に接する。西端を南流する富士川に町域を南西流する山田(やまだ)川・葛籠沢(つづらさわ)川および三沢(みさわ)川が南西端で合流する。東部にある町内最高峰の大林(おおばやし)山は標高六七九メートル余であるが、低山性山地が多く耕地は富士川東岸の標高約二二〇メートル付近にわずかに開けているにすぎない。中央部をJR身延線が通り、落居(おちい)・甲斐岩間(かいいわま)の二駅がある。これに並行して主要地方道市川大門―下部―身延線が走る。町名は昭和二六年(一九五一)落居・岩間・楠甫(くすほ)・宮原(みやばら)・葛籠沢・鴨狩津向(かもがりつむぎ)の六ヵ村が合併したことにちなむ。古代は八代郡川合(かわい)郷(和名抄)に含まれたとするのが通説である。町域に藤原頼長領の石間(いわま)牧(岩間牧)が所在したが、保元の乱後に後白河天皇によって没収され後院領になった。宮原の浅間(あさま)神社は岩間庄総鎮守で、一宮と称されていた。建暦三年(一二一三)に和田義盛の乱の功労により、伊賀二郎兵衛尉が岩間を恩賞として与えられ、この伊賀氏の末流が巌間(岩間)氏を名乗り、当地域に勢力を扶植したというが、その実態は不詳。 六郷町ろくごうまち 秋田県:仙北郡六郷町面積:三九・三五平方キロ仙北郡南部・横手盆地のほぼ中央部東寄りに位置し、北は千畑(せんはた)村、東は岩手県和賀(わが)郡湯田(ゆだ)町、南は平鹿(ひらか)郡山内(さんない)村・横手市・仙南(せんなん)村、西は大曲(おおまがり)市に隣接する。町の東部は奥羽(おうう)山脈の山地に属し、西北流する丸子(まるこ)(鞠子)川の扇状地にある。伏流水が海抜四五メートルの辺りで湧泉となり、町の所々に湧泉列をつくり、その西に集落・水田地帯を形成する。湧泉の東部は原野であったが、昭和一二年(一九三七)国営田沢(たざわ)疏水開通で開田された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by