日本歴史地名大系 「石館村」の解説
石館村
いしたてむら
田圃を隔てて北に
寛文五年(一六六五)の開村という(西津軽郡史)。天和三年(一六八三)の広須御新田所図に石館村とあり、村名は弘前藩の新田開発に際し、垣上の館があったことに由来するというが、遺跡は確認されていない(津軽諸城の研究)。享保一二年(一七二七)広須組に属し、広須通二三ヵ村の一つで村位は下とある(平山日記)。元文元年(一七三六)の検地帳によれば、田畑屋敷合せて二二町四反五畝歩、村高一一五・二八九石とある。うち田方は二一町八畝二歩で一一二・三八九石、中田がなく上・下・下々田と設定され、下々田が一九町一反四畝六歩、九五・七一石とあり、畑方は下々畑のみで一町三反六畝二八歩、二・九石とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報