善積村(読み)よしつみむら

日本歴史地名大系 「善積村」の解説

善積村
よしつみむら

[現在地名]木造町善積よしづみ

田圃を隔てて北に再賀さいか(現稲垣村)、東に夕日岡ゆうひおか村、南東兼館かねたて村、西に石館いしたて村。

元禄年間(一六八八―一七〇四)以前に開発されたが、同八年の大凶作で壊滅し、宝永二年(一七〇五)に復興したという(西津軽郡史)。享保一二年(一七二七)広須組に属し、広須通二三ヵ村の一つで村位は下とある(平山日記)。元文元年(一七三六)検地帳によれば、田畑屋敷合せて一三町九反五畝三歩、村高七一・三〇五石とある。うち田方は一三町二反六畝一〇歩で六九・一二六石、上田下々田のみで、下々田が一二町七反九畝一五歩、六三・九七五石とあり、畑方は下々畑だけの六反八畝二三歩、二・一七九石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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