神の休戦
かみのきゅうせん
Trêve de Dieu
中世ヨーロッパでローマ教会が提唱した一定期間,いっさいの戦闘を諸侯・騎士に禁じた措置
騎士・諸侯・国王間の紛争が教会をもまきこみ,また都市・農村の民衆に与える被害が大きいところから,1027年教会がこれを提唱し,12世紀ラテラン公会議で教会法として公布され,違反者は破門に処せられた。非戦闘員や教会建築・農作物に対する保護もその中に含まれていたことは,近代の戦時国際法の先駆として注目に価する。水曜日の晩から月曜日の朝までと,教会祝祭日とその前日が休戦期間とされた。中央権力の弱かったフランスで,特に盛んであった。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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神の休戦
かみのきゅうせん
Trêve de Dieu; Treuga Dei
ヨーロッパ中世の,教会の主導による1週間中の特定日の貴族間の戦闘禁止をいう。「神の平和」に付加された。違反者は平和侵害者として破門された。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の神の休戦の言及
【神の平和】より
…しかし,教会と民衆の同盟による平和運動は,当時の政治と社会の実情に反するものであったから,目立った成果を挙げえなかった。こうして,力ずくで平和を強制することが不可能だったことから,最後に,限定された戦闘の休止,すなわち毎週2ないし4日間(水曜の夜から月曜の朝まで)と,復活祭などの典礼祝日の期間に戦闘を禁止する〈神の休戦trève de Dieu〉が出現する。やがてスペインやドイツにも入ってゆくこの神の休戦は,キリスト教徒間の戦闘を全面的に排斥するまでにいたり,こうしてキリストの戦士として教化された騎士たちは,異端や異教徒などのキリストの敵に対する聖戦を使命とするようになって,神の平和はアルビジョア十字軍や聖地十字軍に道を開く。…
※「神の休戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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