改訂新版 世界大百科事典 「神の平和」の意味・わかりやすい解説
神の平和 (かみのへいわ)
paix de Dieu[フランス]
10世紀末から12世紀にかけての西欧で,国王の権威が極度に衰退し封建制が最大限に展開する状況において,領主層のフェーデに歯止めをかけるとともに,婦人,子供,商人,巡礼者,聖職者などをこのような暴力行使から保護する目的で,教会の主導の下に設定された平和の制度,ないしそのための運動。この運動の発端が王権の後退と無力化がはなはだしかった南フランスにあったのは象徴的で,まず989年にポアティエ近傍のシャルーで,翌990年にはナルボンヌとル・プュイで開かれた地方的司教区会議が,教会と貧民の財産や武器を携帯しない聖職者のために,破門の罰に裏付けされた特別の保護を設けることを決議した。11世紀に入ると,神の平和は北フランスにも広がってゆくと同時に,平和の誓約によって補強されたり,相互扶助や平和の攪乱者に対する武装攻撃の義務を内容とする平和の誓約団体が結成されて,この運動は頂点に達する。しかし,教会と民衆の同盟による平和運動は,当時の政治と社会の実情に反するものであったから,目だった成果を挙げえなかった。こうして,力ずくで平和を強制することが不可能だったことから,最後に,限定された戦闘の休止,すなわち毎週2ないし4日間(水曜の夜から月曜の朝まで)と,復活祭などの典礼祝日の期間に戦闘を禁止する〈神の休戦trève de Dieu〉が出現する。やがてスペインやドイツにも入ってゆくこの神の休戦は,キリスト教徒間の戦闘を全面的に排斥するまでにいたり,こうしてキリストの戦士として教化された騎士たちは,異端や異教徒などのキリストの敵に対する聖戦を使命とするようになって,神の平和はアルビジョア十字軍や聖地十字軍に道を開く。しかし他方で,神の平和そのものは,12世紀に入って諸侯や国王の権威が強化されるとともに,諸侯の平和(ラント平和令)や国王の平和のなかに取り込まれてゆく。
→十字軍
執筆者:下野 義朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報