神余村(読み)かなまりむら

日本歴史地名大系 「神余村」の解説

神余村
かなまりむら

[現在地名]館山市神余

出野尾いでのお村の南に位置し、ともえ川上流の谷に展開する。安房神社神戸の余戸が当地に移り住んだのが地名の由来とされている。「かなまる」ともいう。字くりまえ陽地ようちには横穴墓がみられる。「保元物語」などに散見する神余氏(金鞠・金丸とも)名字の地とされる。神余氏は源頼朝挙兵の時、安房国の国衙「在庁両三輩」として安西氏・丸氏らとともに頼朝に荷担し、以後同国の支配に携わった(「吾妻鏡」治承四年九月一日条)。当地の平田ひらたに館があったという。なお同氏は戦国時代、家臣の山下氏に滅ぼされたと伝える(「里見代々記」「里見九代記」「房総里見軍記」など)。字地蔵畑じぞうばたには神余景貞が自刃したと伝える御腹やぐらがあり、中世の五輪塔などが残る。

慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録では高九〇八石余(うち田五九二石余)、同一五年の里見家分限帳によると里見家の直轄支配地になっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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