神山郡廉(読み)コウヤマ クニキヨ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「神山郡廉」の解説

神山 郡廉
コウヤマ クニキヨ


肩書
貴院議員

生年月日
文政12年1月(1829年)

出身地
土佐国高知城下中島町(高知県)

経歴
文久年間に吉田東洋に抜擢され藩の要職につく。慶応3年10月大政奉還建白書の署名人の1人となる。12月王政復古により参与となり新政府の行政官弁事、刑法官副知事を務める。明治4年長野県権令、5年島根県権令、6年和歌山県権令、さらに元老院議官、高等法院陪席判官を歴任。20年男爵を授けられ、23年帝国議会開設とともに貴院議員に勅選された。日記が「神山郡廉日記」として刊行されている。

没年月日
明治42年8月20日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「神山郡廉」の解説

神山郡廉

没年:明治42.8.20(1909)
生年:文政12.1(1829)
幕末の土佐(高知)藩士,明治期の官僚,政治家。高知城下中島町生まれ。通称左多衛。文武に優れ,文久年(1861~64)中参政吉田東洋に抜擢され郡奉行,大目付を歴任。慶応2(1866)年,幕府の征長催促を拒絶する役目を果たした。3年10月,山内容堂(豊信)の大政奉還建白に後藤象二郎,福岡孝弟,寺村左膳らと連署した。維新政府の参与に任じられてより行政官弁事,議政官上局参与,刑法官副知事を歴任,廃藩置県後は長浜(滋賀)県,島根県の権令,和歌山県令を経て元老院議官,高等法院陪席判事を務め,20年男爵。23年貴族院議員に勅選され没年に至った。

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「神山郡廉」の解説

神山郡廉 こうやま-くにきよ

1829-1909 幕末-明治時代の武士,官僚。
文政12年1月生まれ。土佐高知藩士。大目付などをつとめ,慶応3年(1867)後藤象二郎(しょうじろう)が山内豊信(とよしげ)(容堂)に提出した大政奉還建白書に名をつらねた。維新後は和歌山県令,元老院議官などを歴任。明治23年貴族院議員。明治42年8月20日死去。81歳。通称は佐(左)多衛。姓は「かみやま」,名は「くにかど」ともよむ。

神山郡廉 かみやま-くにかど

こうやま-くにきよ

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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