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山内豊信 やまのうちとよしげ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山内豊信
やまのうちとよしげ

[生]文政10(1827).3.7.
[没]明治5(1872).6.21. 東京
幕末の土佐藩主。第 10代藩主豊策 (とよかず) の5男豊著 (とよあきら) の子。号は容堂。嘉永1 (1848) 年 11月襲封。第 14代藩主となる。識見が広く人材を登用して名君の聞えが高く,明治維新の序幕をなす大政奉還の演出者として著名。

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デジタル大辞泉の解説

やまうち‐とよしげ【山内豊信】

[1827~1872]江戸末期の土佐藩主。号、容堂。支藩から出て本藩を継ぎ、吉田東洋を登用して藩政改革を行った。一橋慶喜徳川慶喜)の将軍擁立に尽力し、公武合体運動・大政奉還に活躍。

やまのうち‐とよしげ【山内豊信】

やまうちとよしげ

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百科事典マイペディアの解説

山内豊信【やまのうちとよしげ】

山内容堂

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山内豊信 やまうち-とよしげ

1827-1872 幕末の大名。
文政10年10月9日生まれ。山内豊著(とよあきら)の長男。山内豊惇(とよあつ)の養子となり,嘉永(かえい)元年土佐高知藩主山内家15代。将軍継嗣問題に関与し安政の大獄で隠居謹慎となる。文久2年ゆるされて公武合体に尽力,3年土佐勤王党を弾圧し武市瑞山(たけち-ずいざん)らを処断。慶応3年大政奉還を建白,王政復古で議定(ぎじょう)となり幕府勢力の温存をはかるが失敗。酒をこのみ,鯨海酔侯(げいかいすいこう)と自称した。明治5年6月21日死去。46歳。号は容堂。
【格言など】歳酔三百六十回 鯨海酔侯(脱藩者の坂本竜馬を赦免したときの絵にそえた署名)

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朝日日本歴史人物事典の解説

山内豊信

没年:明治5.6.21(1872.7.26)
生年:文政10.10.9(1827.11.27)
幕末の土佐(高知)藩主。幼名輝衛,のちに兵庫助。容堂と号す。藩主山内氏分家山内豊著の長子。弘化3(1846)年家督を継いだが,嘉永1(1848)年,藩主豊煕(豊信従兄),豊惇(同)が相次いで病没,急遽本家の養子となり,第15代藩主を襲封。当初は隠居豊資に藩政指導の実権を制約されたが,嘉永6年黒船来航を機に俄然藩政改革に着手,吉田東洋を抜擢し海防強化政策を展開した。将軍継嗣問題では一橋慶喜擁立派に与して積極的な朝廷工作を敢行。だが,南紀派の井伊直弼が大老に就任,条約調印を断行,将軍継嗣を紀州慶福に決定すると,安政6(1859)年2月依願隠居し容堂と号した。同年10月謹慎を命じられ,以後2年半江戸品川鮫州の別邸に謫居した。藩祖山内一豊以来の徳川将軍家への深い恩顧もあり容堂は公武合体を望んだ。文久2(1862)年4月,謹慎を解除されて一橋慶喜,松平慶永を支援して幕政改革・公武周旋に尽瘁した。このころ藩地では中央政局緊迫の影響を被って藩政府と尊攘派の抗争が昂進。謹慎解除直前には参政吉田東洋が尊攘派に暗殺され,その後尊王攘夷論が藩論となり武市瑞山一派が藩主豊範を擁して京都に繰り出し長州藩尊攘派に伍して幕府を掣肘した。 文久3年1月,将軍上洛に先立ち入京,公武合体を種々画策したが形勢利あらず,3月下旬高知へ退去し,旧吉田派の復権,藩政修復,武市派弾圧に着手した。時に朝議参与に任じられ,元治1(1864)年春上京して国事周旋に関与するが,参与会議の意見対立に絶望し病気を理由に高知に再び退散。武市瑞山を断罪し,軍事の整備,殖産興業政策を展開して状況の好転を待機したが,幕勢の衰運はとどまるところを知らず,ついに慶応3(1867)年7月,後藤象二郎の建言を用いて,大政奉還を将軍徳川慶喜に建白。その後も徳川氏の権力保全に腐心したが王政復古から鳥羽・伏見の戦で望みを断たれた。維新政府の議定,内国事務局総督,刑法官知事,学校知事,制度寮総裁,上局議長を歴任し,明治2(1869)年7月に麝香之間祗候の優待を受けて隠棲した。墓所は東京都品川区下総山墓地にある。<参考文献>平尾道雄『容堂公記伝』

(福地惇)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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防府市歴史用語集の解説

山内豊信

「容堂」[ようどう]の号で知られています。土佐藩の十五代藩主で藩政の改革を行いました。安政の大獄により藩主を退いた後、長州・薩摩藩を中心とした武力で幕府を倒す動きをおさえるため、将軍徳川慶喜[とくがわよしのぶ]に大政奉還[たいせいほうかん]をすすめました。

出典|ほうふWeb歴史館
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大辞林 第三版の解説

やまのうちとよしげ【山内豊信】

出典|三省堂
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世界大百科事典内の山内豊信の言及

【土佐国】より

…旧国名。土州。現在の高知県。土左国,都佐国とも記す。
【古代】
 南海道に属する中国(《延喜式》)。ただし865年(貞観7)に介を加置され国司の構成は上国と変わらなくなった。《古事記》の国生み神話には〈建依別(たけよりわけ)〉という別称が記されている。《先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)》の国造本紀には波多国造として天韓襲命,土佐国造として小立足尼の名がみえ,律令制的な国の成立以前,この地は土佐・波多両国造の支配下にあった。…

【土佐藩】より

…土佐国(高知県)高知に藩庁を置いた外様大藩。高知藩ともいう。藩主は山内(やまうち)氏で藩祖山内一豊以下16代。一豊は関ヶ原の戦のあと,遠江国掛川6万石の城主より土佐24万石(朱印高は20万2626石)に栄進,この恩顧の念が明治維新に際しても藩主の行動を制約した。通称石高24万石は,長宗我部(ちようそがべ)検地で打ち出された本田の地積を,1反=1石の率で換算した数字で,朱印高は本田に石盛(こくもり)をしたものである。…

【山内容堂】より

…幕末の開明的な土佐藩主。大政奉還を建白したことで有名。豊信(とよしげ)と名のる。容堂は号。鯨海酔侯,九十九洋外史,酔擁美人楼などの別号をもつ。1848年(嘉永1)分家から入って襲封。黒船来航を契機に藩政改革に乗り出し,あわせて松平慶永や島津斉彬らと一橋慶喜を将軍継嗣に擁立する動きに参画。しかしことは成らず,安政の大獄の強圧のなかで隠退したが,謹慎を命ぜられた。62年(文久2)勅使東下のなかで活動を再開し,将軍後見職一橋慶喜らに朝幕間の調和を説き,公武合体をはかった。…

【山内氏】より

…一般に〈やまのうち〉とも読む。近世大名。藤原秀郷(ひでさと)の後裔という。一豊の祖父久豊は累代の地丹波から尾張に移り,子盛豊は尾張の岩倉城主織田信安に仕え家老を務めた。その次子一豊は掛川の城主から1600年(慶長5)土佐20万2600石余の藩主となる。以下,忠義,忠豊,豊昌,豊房,豊隆,豊常,豊敷(とよのぶ),豊雍(とよちか),豊策(とよかず),豊興,豊資,豊熙,豊惇,豊信(とよしげ),豊範と16代272年にわたり廃藩置県まで土佐藩主を務めた。…

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