大目付(読み)おおめつけ

日本大百科全書(ニッポニカ)「大目付」の解説

大目付
おおめつけ

江戸幕府の職名。老中(ろうじゅう)の支配下で大名(だいみょう)目付総目付ともよばれた。1632年(寛永9)12月に設置されたが、徳川家光(いえみつ)政権による大名統制強化の一環といえる。その本来の役割は軍奉行(いくさぶぎょう)であり、これは島原の乱でも証明された。定員は4、5人で旗本から選出されるが、待遇は大名並みの役職である。1723年(享保8)役高は3000石と定められた。大目付の職掌は、全国への法令の布告、江戸城殿中での大名の席の配置、大名の欠礼届の受理、将軍出行時の供奉(ぐぶ)の管掌などのほか、関東・畿内(きない)諸国の巡視を命ぜられる場合もあり、国内の民情視察も職務であったようである。ほかに道中(どうちゅう)奉行、宗門改(しゅうもんあらため)、鉄砲改を兼任した。

[煎本増夫]

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精選版 日本国語大辞典「大目付」の解説

おお‐めつけ おほ‥【大目付】

〘名〙
① 江戸幕府の職名。寛永九年(一六三二)設置。老中支配に属し、幕政監察にあたるとともに、諸大名の行動を監視した。旗本から選ばれ、定員は四名か五名で、うち一名は道中奉行を兼ねた。はじめ総目付と呼ばれ、大横目、総横目の称もある。大目付役。
※禁令考‐前集・第三・巻三〇・宝永六年(1709)四月「御礼日内外取締之儀御書付 覚 一御礼日、其外出仕有之節、向後大目付、御目付、席々見廻り、作法等宜様に可被相心得事」
② 諸大名の家で、①に類似の役をした人。
※浮世草子・武道伝来記(1687)三「折ふし御ぜんに豊田隼人といふ大目付(メツケ)有合せ」

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百科事典マイペディア「大目付」の解説

大目付【おおめつけ】

江戸幕府の職名。大名および幕政全般を監察することを職務として,評定所の陪席,全国法令の布告などのほか,軍役を担当する。1632年柳生宗矩,秋山重正ら3人を総目付として任じたのがこの職の起源。以後旗本の中から選任し,大名待遇とした。定員4〜5名。
→関連項目井上政重江戸幕府海防掛キリシタン屋敷郡上一揆道中奉行遠山金四郎目付

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「大目付」の解説

大目付
おおめつけ

江戸幕府の職名。一切の幕政を監察し,大名寄合高家の監視をも行なった。老中の支配に属し,任命されるのは旗本ではあるが大名統制も行うため,その待遇は大名並みで,旗本が任じられる職では留守居,大番頭に次ぐ重要なもの。定員は4名で,柳生宗矩らが初めて任じられた。

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デジタル大辞泉「大目付」の解説

おお‐めつけ〔おほ‐〕【大目付】

江戸幕府の職名。老中の支配下にあって、幕府の政務の監督、諸大名の監察などにあたった。定員は4~5名、旗本から選ばれた。総目付の改称で、大名目付・総横目ともいった。→目付1

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旺文社日本史事典 三訂版「大目付」の解説

大目付
おおめつけ

江戸幕府の職名
幕政の監察を主要な任務とし,特に大名監察にあたったので大名目付ともいう。旗本から任命され,大名並の待遇をうけた。定員4〜5名。

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世界大百科事典 第2版「大目付」の解説

おおめつけ【大目付】

江戸幕府の職名。1632年(寛永9)12月,秋山正重,水野守信,柳生宗矩,井上政重の4人が総目付に任じられたのがはじまりである。当初は大名・旗本,老中以下諸役人の政務・行状を監察し,言上することをおもな任務としたが,中期以降は各藩に対する法令伝達や,江戸城中における大名の座席,作法などをもっぱらつかさどった。また勘定奉行とともに道中奉行を兼務したほか,切支丹宗門改,江戸十里四方鉄炮改,分限帳改などの職務を分担した。

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世界大百科事典内の大目付の言及

【江戸幕府】より

…大名の所領支配そのものが領内の平和の維持を含めて将軍の軍事的統率下にあることに立脚していたからである。幕府,大名の意思疎通は日常的には種々なレベルの個別的人脈によっていたが,公的には幕府の意思は大目付によって伝達された。大目付は使番(巡見使や国目付はこの役の者から任命された)とともに,将軍本営の命令を出先の部隊に伝え,かつその実施を監察するのがその本来の機能であり,それが平時の行政上の伝達系統に転用されたのである。…

【御史大夫】より

…平安以降になると,漢代に丞相(大臣に当たる)の下に置かれた御史大夫が先例で,天智,淳仁天皇時代の御史大夫が根拠となって大納言の唐名として用いられた。また唐代に刑憲典章をつかさどった御史台の長官を御史大夫といったことにより,弾正台長官の尹(かみ)の唐名として用いられ,江戸時代には大目付の唐名ともなった。【山本 信吉】。…

【評定所】より

…その存在は幕府創設後かなり早くから認められるが,1635年(寛永12)に規則が初めて成文化された。構成員の中心は寺社,町,勘定の三奉行で,これに大目付,目付が審理に加わり,勘定所からの出向者を主とする留役(とめやく)(書記)が実務を担当した。初期には老中も出席したが,1660年代(寛文年間)ごろに寄合(会議)が式日(しきじつ),立合,内寄合(うちよりあい)の3種に分かれて,老中は式日にのみ出座することになり,さらに1720年(享保5)からは月1回出座となった。…

※「大目付」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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