神房村(読み)かんぼうむら

日本歴史地名大系 「神房村」の解説

神房村
かんぼうむら

[現在地名]茂原市榎神房えのきかんぼう榎神房飛地えのきかんぼうとびち

本納ほんのう村の北に位置し、北は山辺やまべ郡神房村(現大網白里町)北西丘陵を背負い、南東耕地が展開する。かつてはかつら(桂郷)に含まれており、寛文一〇年(一六七〇)に分村したという。元禄郷帳では高二七〇石余。寛政五年(一七九三)上総国村高帳では高二七〇石余、幕府領と多古藩領の相給で、家数二二。旧高旧領取調帳では旗本小長谷・森・安藤領の相給。嘉永四年(一八五一)の村明細帳(大高家文書)に「御知行替ニ付、中里村、神房村両村御代官岩田鍬三郎様より森宗竹様之御引渡之写」とあり、同村明細帳は旗本森氏に引渡されたのであろう。


神房村
かんぼうむら

[現在地名]大網白里町神房

萱野かやの村の東に位置する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高二九四石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では桂組に属し、旗本山田・本多領各二〇〇石余。元禄郷帳では高三三五石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数三七、幕府領・山田領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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