日本歴史地名大系 「神洞村」の解説 神洞村かんぼらむら 岐阜県:美濃市神洞村[現在地名]美濃市神洞板取(いたどり)川下流域の右岸にあり、それへ注ぐ神洞川の谷間に発達した村。村名の由来は「古事記」所載の喪山神話の神々が集まった地という伝承によるとされる。牧谷(まきだに)八郷の一つ、北の対岸は蕨生(わらび)村。慶長郷帳に「かんぼら村」とみえ、村高五四石余・山年貢八石余。元和五年(一六一九)幕府領から尾張藩領となり幕末に至る。正保郷帳では畑高五四石余・紙舟役三石余・山年貢一六石余。明暦覚書によれば概高一一九石余、人数一七三、馬二一。「濃州徇行記」では田畑一六町三反余・見取田畑七反余、家数七七・人数五〇八、馬一六。口神洞(くちかんぼら)・奥神洞(おくかんぼら)(本郷)の二組と枝村間倉(まくら)からなり、口神洞は二二戸ほど、奥神洞は四四戸ほど、間倉は一〇戸ほど。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by