神浦城跡(読み)こうのうらじようあと

日本歴史地名大系 「神浦城跡」の解説

神浦城跡
こうのうらじようあと

[現在地名]外海町神浦江川

神浦川を望む丘陵江川えがわに築かれた中世の城の跡。永和年間(一三七五―七九)に大串小次郎丹治俊長が築城し、当地名を称して神浦氏としたという。永禄九年(一五六六)神浦正俊は肥前武雄たけおの後藤貴明に味方し、その子の正信は大村純忠側となって対立、正俊は千綿ちわた(現東彼杵町)討死、これに伴って当城は純忠の命で福田左京亮が破却している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...

半夏生の用語解説を読む