神浦城跡(読み)こうのうらじようあと

日本歴史地名大系 「神浦城跡」の解説

神浦城跡
こうのうらじようあと

[現在地名]外海町神浦江川

神浦川を望む丘陵江川えがわに築かれた中世の城の跡。永和年間(一三七五―七九)に大串小次郎丹治俊長が築城し、当地名を称して神浦氏としたという。永禄九年(一五六六)神浦正俊は肥前武雄たけおの後藤貴明に味方し、その子の正信は大村純忠側となって対立、正俊は千綿ちわた(現東彼杵町)討死、これに伴って当城は純忠の命で福田左京亮が破却している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む