日本歴史地名大系 「神田小柳町一丁目」の解説 神田小柳町一丁目かんだこやなぎちよういつちようめ 東京都:千代田区旧神田区地区神田小柳町一丁目[現在地名]千代田区神田須田町(かんだすだちよう)一丁目須田町二丁目の東に位置する町で、同町と同町南側の通新石(とおりしんこく)町の境をなす東西の道筋に沿った両側町。東は神田小柳町三丁目、南は同二丁目、北は須田町二丁目と筋違八(すじかいや)つ小路。神田小柳町一―三丁目は、元禄一一年(一六九八)に下谷町一丁目(現台東区)が勅額火事で類焼し、四ヵ所に与えられた代地の一所(文政町方書上)。延享二年(一七四五)から町奉行支配(安政三年小間附町鑑)。当町一帯から東の神田平永(かんだひらなが)町辺りにかけては、明暦三年(一六五七)の大火以前は誓願(せいがん)寺があった(明暦三年新添江戸之図)。同寺は慶長元年(一五九六)に銀(しろがね)町(本銀町)一丁目(現中央区)辺りから移転、東西九二間・南北一三一間の替地を与えられた(寺社備考)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by