神田平永町代地(読み)かんだひらながちようだいち

日本歴史地名大系 「神田平永町代地」の解説

神田平永町代地
かんだひらながちようだいち

[現在地名]千代田区外神田そとかんだ三丁目

神田旅籠かんだはたご町一丁目の北側に位置する御成道に面した片側町。東は御成道を挟んで同花房はなぶさ町代地・柳原岩井やなぎはらいわい町代地、西は柳原岩井町代地拝領屋敷、北は柳原岩井町代地。神田平永町が寛政五年(一七九三)湯島無縁むえん坂よりの火災で類焼し、翌年柳原土手下町六ヵ町が火除地になったため土地を収公され、御成道西側裏通りの大関伊予守邸・太田駿河守邸跡地内に代地を与えられ起立

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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