日本歴史地名大系 「神田淡路町二丁目」の解説 神田淡路町二丁目かんだあわじちようにちようめ 東京都:千代田区旧神田区地区神田淡路町二丁目[現在地名]千代田区神田淡路町二丁目・神田駿河台(かんだするがだい)四丁目明治五年(一八七二)に起立。神田淡路町一丁目の北側に位置する町で、北は淡路坂を挟んで神田川、昌平(しようへい)橋が架かる。江戸時代はおおむね武家地。寛永江戸図では寺地となっている。沿革図書などによると、延宝年中(一六七三―八一)は北部が佐野内蔵允・天野五郎八などの屋敷、南部は永井信濃守邸。元禄元年(一六八八)頃は北側の天野五郎八邸跡が知足(ちそく)院境内、南側は永井家に代わって松平伊豆守邸。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by