神辺庄(読み)こうのえのしよう

日本歴史地名大系 「神辺庄」の解説

神辺庄
こうのえのしよう

近世の神辺村辺りに比定される太宰府天満宮安楽寺の荘園。天満宮安楽寺草創日記(大宰府神社文書)に、

<資料は省略されています>

とみえて、永承二年(一〇四七)安楽寺新三昧堂に寄進されたことがわかる。規模は正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)に「安楽寺御領五百七十二丁七反内」「神辺庄八十丁」とあって三〇町増加している。荘域は萱方かやかた村に及んだものと推測される。

一四世紀に入ると武士によって荘園は侵略されたようで、建武四年(一三三七)九月、鎮西管領一色範氏は肥前国御家人後藤六郎朝明に神辺庄の「松吉名」二〇町の地頭職勲功の賞として宛行っている(後藤家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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