福丸村(読み)ふくまるむら

日本歴史地名大系 「福丸村」の解説

福丸村
ふくまるむら

[現在地名]若宮町福丸

犬鳴(いぬなき)川を挟んで金生(かのう)村の北、同川の中流左岸、山口(やまぐち)川との合流地点に位置する。古くは金生村の枝郷であったが、のちに分村した。分村の時期について「続風土記附録」は延宝四年(一六七六)とし、「続風土記拾遺」は元禄年間(一六八八―一七〇四)としている。田圃志では「金生村之内」と注記があるものの一村として書上げられ、元禄五年の人数二八〇。ただし村高・家数などは判読できない。


福丸村
ふくまるむら

[現在地名]行橋市福丸

須磨園(すまぞの)村の西に位置する。平尾(ひらお)台の東麓で、小波瀬(おばせ)川左岸に東西に細長く広がり、西側は山地、東側は平野部。元和八年人畜改帳に村名がみえ、高三一二石余、家数三一・人数六三(うち百姓六・名子三)、牛九・馬四。郷村高帳では高三五七石余、うち新田高四六石余。旧高旧領取調帳では高三八八石余。元禄一五年(一七〇二)の京都郡薪札御改帳(郡典私志)に、薪札運上銀納の村として福丸村がみえる。安政二年(一八五五)七月に行事(ぎようじ)村の豪商飴屋(玉江彦右衛門)が当村の山地開発を願出て、九月には新開発地に対する納米が一石余と決められた(中村平左衛門日記)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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