福島貞雄(読み)ふくしま・さだお

朝日日本歴史人物事典 「福島貞雄」の解説

福島貞雄

没年:文久1.5.3(1861.6.10)
生年天明5(1785)
江戸後期の武蔵国足立郡大間村(鴻巣市)の名主,農学者。通称耕八。才幹があり,領主林述斎 からも信任されていたという。天保飢饉に際して村々で申し合わせて5カ月にわたり実践した,雑炊による米,麦の食いのばし法について記した『贍民録』(1837)を自ら刊行して3000部を頒布し,のちに農書『耕作仕様書』(天保年間)を著す。同書には各種作物の試作結果が記されており,江戸近郊の畑作を中心とした商品作物栽培の実態や,自らが経験から会得した耕作技術がもりこまれている。また3例にわたる経営事例が記されており,当時のこの地域の農家経営の状況が明らかにされている。<参考文献>葉山禎作「『耕作仕様書』解題」(『日本農書全集』22巻)

(黒須茂)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「福島貞雄」の解説

福島貞雄 ふくしま-さだお

1785-1861 江戸時代後期の農政家。
天明5年生まれ。武蔵(むさし)足立郡大間村(埼玉県鴻巣市)の名主。天保(てんぽう)8年飢饉(ききん)時の食糧節約法などをしるした「贍民録(せんみんろく)」をあらわした。文久元年5月3日死去。77歳。通称は耕八。

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