日本歴史地名大系 「須川」の解説
須川
すかわ
須川
すがわ
慶長六年(一六〇一)真田信之が家臣大熊五郎左衛門に与えた知行地の中に「六拾五貫文、小牧(中略)九貫文、須川山畑共ニ」(大熊文書)と記されているのが初見。同一七年二月、信之は長井九助に「於須川御見出之内□□□□所出置候」(大鋒院殿御事蹟稿)として、須川を支配させているほか、同年八月二七日に、信之は「今度新足軽拾五人申付候、此為給分、須川之内拾五貫文出置候」(同文書)と、鈴木久次郎に足軽一五人を預け、その給分を須川郷において給するなど、近世初頭より須川は真田領であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報