福釜古城跡(読み)ふかまこじようあと

日本歴史地名大系 「福釜古城跡」の解説

福釜古城跡
ふかまこじようあと

[現在地名]安城市福釜町 西天

中世の館跡。現福釜町の西に位置する。永正年間(一五〇四―二一)松平親盛がここに拠る。親盛は長親の次男で、福釜松平の祖。その子右京亮親次は、宇利うり(現新城市)攻撃のとき戦死。弘治二年(一五五六)徳川氏はこの城を修理し、酒井忠次などに守らせる。「三河物語」に松平右京のことを記す。天正一八年(一五九〇)徳川家臣団が関東に移ったとき、当主康親も関東に領地を給されるが、その一族はなお現地にとどまったと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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