酒井忠次(読み)サカイタダツグ

デジタル大辞泉 「酒井忠次」の意味・読み・例文・類語

さかい‐ただつぐ〔さかゐ‐〕【酒井忠次】

[1527~1596]安土桃山時代武将徳川家康仕え姉川三方ヶ原長篠などの多くの戦に軍功あり、徳川四天王一人に数えられた。

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精選版 日本国語大辞典 「酒井忠次」の意味・読み・例文・類語

さかい‐ただつぐ【酒井忠次】

  1. 戦国・安土桃山時代の武将。左衛門尉忠親の子。妻は松平広忠の妹。徳川氏三河累代の重臣。徳川四天王の一人。姉川、三方ケ原、長篠の戦いなどに従軍し、功を立てた。大永七~慶長元年(一五二七‐九六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「酒井忠次」の意味・わかりやすい解説

酒井忠次
さかいただつぐ
(1527―1596)

徳川家康覇業功績のあった重臣。本多(ほんだ)、井伊(いい)、榊原(さかきばら)とともに徳川四天王の一人。徳川氏と同祖だという名門左衛門尉(さえもんのじょう)酒井氏の嫡流に生まれる。家康より15歳年長の忠次は早くから家康に仕え、家康の駿府(すんぷ)人質時代にも供奉(ぐぶ)して奏者役(そうじゃやく)などを勤めた。家康が三河(愛知県東部)を支配する過程で、西三河は石川家成(いえなり)、東三河は忠次が旗頭に任命され、よくその責を果たした。家康の領域が拡大するとともにその役割も大きくなり、1582年(天正10)武田勝頼(かつより)滅亡後には信濃(しなの)(長野県)経略の責任者となるなど活躍している。86年従(じゅ)四位下、左衛門督(さえもんのかみ)に叙任され、88年62歳で隠居し、一智(いっち)と号した。妻は家康の父松平広忠(ひろただ)の異母妹である。

[林 亮勝]

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改訂新版 世界大百科事典 「酒井忠次」の意味・わかりやすい解説

酒井忠次 (さかいただつぐ)
生没年:1527-96(大永7-慶長1)

戦国末期から織豊期にかけて徳川家康に仕えた武将。通称小平次または小五郎,左衛門尉(さえもんのじよう)を名のる。父は左衛門尉系酒井氏の忠親。若年より徳川家康に仕え,1563年(永禄6)三河一向一揆等に力戦,64年家康が三河一国を統一したとき吉田城主となり,東三河の諸士の旗頭となる。石川数正とともに家康の左右にあって補佐した。86年(天正14)従四位下左衛門督に叙任,88年致仕した。
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朝日日本歴史人物事典 「酒井忠次」の解説

酒井忠次

没年:慶長1.10.28(1596.12.17)
生年:大永7(1527)
戦国・安土桃山時代の武将。酒井左衛門尉系の初代忠親の次男。三河国に生まれる。酒井氏は松平氏の一番古い庶流家で,忠次は松平広忠に仕え,その妹碓井姫を娶る。通称は小平次および小五郎。左衛門尉を称した。徳川家康が幼いころから仕え,今川氏から自立して三河一国を支配した時点で吉田城をまかされ,「東三河の旗頭」と呼ばれ,「西三河の旗頭」石川家成(のち甥の数正)と共に家康の「両家老」といわれた。家康草創期のほとんどに参陣して戦功をあげ,政治的手腕にも優れていた。天正14(1586)年,従四位下・左衛門督に叙任されたが,同16年,家督を子の家次に譲って一智と号し,隠居した。後世,本多忠勝,榊原康政,井伊直政と共に,いわゆる徳川四天王に数えられる。

(小和田哲男)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「酒井忠次」の解説

酒井忠次 さかい-ただつぐ

1527-1596 戦国-織豊時代の武将。
大永(たいえい)7年生まれ。松平広忠,その子徳川家康につかえる。徳川四天王のひとり。妻の碓井(うすい)姫は家康の叔母(おば)。永禄(えいろく)7年三河(愛知県)吉田城主。姉川,長篠(ながしの),小牧・長久手(ながくて)などの戦いで活躍。政治手腕もすぐれ,石川数正(かずまさ)とともに家康を補佐した。慶長元年10月28日死去。70歳。三河出身。通称は小平次,小五郎,左衛門尉。号は一智。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「酒井忠次」の意味・わかりやすい解説

酒井忠次
さかいただつぐ

[生]大永7(1527).三河
[没]慶長1(1596).10.28. 京都
安土桃山時代の武将。徳川氏の重臣。忠親の子。幼名は小平次,小五郎。左衛門督,入道して一智と号した。家康に仕え,永禄7 (1564) 年今川氏の武将小原鎮実を吉田城に落して吉田城主となる。姉川の戦い,三方ヶ原の戦い,長篠の戦い,小牧・長久手の戦いに功があり,天正 16 (88) 年致仕した。

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